時事通信社の報じるところでは、「中部電力浜岡原発(静岡県)の地震想定に関するデータ不正問題で、同社が原子力規制委員会による調査を受けた後、弁明できるようにデータを集めたり、上書きしたりしていたことが1日、分かった。規制委事務局の原子力規制庁が同日開かれた規制委の定例会合で報告。山中伸介委員長は記者会見で「不正隠しが行われたのではないかと推測している」と述べた。
規制委は同日、中部電上層部の関与の有無などを解明するよう規制庁に指示した。不正行為の詳細な事実関係も確認した上で、今夏にも同社への対応措置を決める方針。同社は「極めて深刻に受け止めており、改めて心よりおわび申し上げる」などとするコメントを出した。
中部電は浜岡3、4号機の再稼働の前提となる審査で、想定される地震の揺れ(基準地震動)を策定するためのデータを規制委への説明と異なる手法で選定。都合の良いデータを選定しながら、妥当な計算手法で行ったかのように装っていたケースもあり、基準地震動を過小評価した疑いがある。こうした不正は複数の部署にまたがって行われていたとされる。
規制庁によると、同庁が問題を把握し、中部電と面談を開始した昨年5月以降、同社は都合良く選定したケースについて、事後的にデータを集めたり、上書きしたりする作業をしていたことが判明。調査対象の225件のうち69件が該当するという。」とある。
原発の再稼働が認められた場合に、その一次的安全性は電力会社の社員に100%依存せざるを得ない。
しかし、不正に不正を重ねるような人々であれば安全性を委ねても大丈夫なのだろうか。
事件を起こしても、国のエネルギー基本計画における原子力発電の位置は揺るぎようがないとたかを括っているのではないか。
不祥事続きで再稼働が危ぶまれていた柏崎刈羽原発すら再稼働が認められて動いているのだから。
原子力発電の技術は進歩しても、それを利用する人々の人間性の進歩はどうだろう。最も安全で進歩した技術の一つは自動車であるが、これすら死亡事故が毎日のようにある。飲酒運転、危険運転などリスクの多くは利用する人の心にある。
ほとぼりが冷めるのを待つのかも知れないが、それは許さないというキツイお仕置きがあっても良い。
原発の安全性は技術と人(人の心)の掛け算であると私は思う。
不正を見破れないでリスクを孕んだまま再稼働ということだけはないよう願うばかりである。


