勝手気ままにショートエッセイ

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鈍足始末記 「正しく運動を習い一生の友に」「30年後はスーパー爺さんに」

時期的には少し前のことだが、散歩をすると、小学校でも中学校でも、校庭で春の運動会の練習をやっていた。

 

どの競技にもルールがあって、そのルールの中で色分けされた組ごとに競わせるのである。

 

多くは負けたくないから頑張ることになっている。

 

でも必ず負けはあるからそれも受け入れる。

 

先生は、練習でも、その辺りの競争心や連体感をくすぐるよう指導している。

 

集団演技でもどの組はうまく一体感が出ていたとか、どこが足りなかったとか。

 

そして今でも、最後の組別対抗リレーで盛り上がりは頂点に達する。

 

でも、リレーに出られない応援常連の者もいる。

 

私も応援常連組の鈍足類に分類されていたなあ。

 

もちろん、個人短距離走では着外、4着以降はカウントもされない。

 

これは小学校以来8年間のお定まりの季節行事であった。

 

だが、義務教育最後の中学校3年の時に番狂わせは起こった。

 

リレー走者は予選の50メートル走の記録で早い順に決まる。

 

その予選の数日前にテレビで小学校の鈍足がどうすれば早く走れるかという救済特集をやったのだ。

 

例えば、映像で比較して、鈍足の子はかかとから着地してドタドタと走るが、速い子はかかとは着かずにつま先から着地して地面を蹴ってタタタと走るとか。

 

蹴り出した足は流さず素早く腿に引きつけるようにたたみ込んで回転させるとか。

 

そして、別の番組でも、早く走る動物の代表である馬について、足が爪先立ちになるような骨格になっている絵や、走る姿のスローモーション映像で、強い蹴り込みや流れない足さばき、上下動の少ない無駄のない走りを見せて教えてくれました。

 

予選直前に、テレビで教えてもらった通り、爪先立ちで足の回転を意識した練習を数回しただけで、すぐ本番。

 

しかし、その効果は驚異的で1秒5の短縮となったのである。私の鈍足を知る仲間は疑いの目を向ける。でも記録は記録。

 

これで、個人短距離走でもビリにならず、リレーにも初参加できたものの、鈍足の劣等感を拭い去るまでには至らなかった。

 

この後、高校では走ることとは無縁でいたが、大学の体育科目で陸上の時間があり、棒高跳び砲丸投げハンマー投げ走り幅跳び走り高跳びなど、いろいろな種目を体験させていただいた。

 

指導教員からは「君たちは高校の3年間ほとんど運動をやっていなかったのだろうから絶対に全力は出すな。」と注意されていたのだが、100メートル走で予想外に良い記録が出たこともあり、1人200メートルずつのリレーをやった際にバトンを受けた直後から並走して競ってしまった。

 

途中100メートルで異常を感じて減速、ゴール後貧血でダウンしてしまい、指導教員に「全力を出すなと言っただろう。」と怒られてしまった。心の中で「先生すいません、でも加速感たまんなく良かったです。」

 

以上鈍足の始末記だが、小さい頃から正しい運動の仕方を習って、運動を一生の友とすることが理想だと思うのである。

 

今からでも遅いとは思わない。テレビでたまに、100歳を超えて農作業や林業や理容業をやっているスーパーおじいさんやおばあさんを見たりする。自分もラジオ体操やウォーキングを続けて、30年後にその仲間入りすることをゴールにしたいと思う。